カテゴリ:個人史の考え方( 4 )

 「戦争の歴史的な評価は歴史家に任せるべきだ」といって戦争責任に言及したがらない自民党総裁候補がいるのはしかたがないが、問題は世論調査では人気があって多くの人が支持しているということと、そのまま日本の首相になってしまうということであろう。
 司馬遼太郎が「日本人はやっぱり政治がわからない民族ですからね」といっているのには、こういうことも含まれるのだろうと思われる。
 “その評価は歴史家に任せましょう”というのは、人類のためになることをした人がそれを褒められたときに、ちょっとそれを謙遜して自らそういう場合もあるし、悪いことをした人がそれを“悪くない”とはっきりいいにくい、“悪かった”とは認めたくないときに、それをぼかし現在の判断を留保する(つまり後ではそれを悪いとは認めないという)ためにいうことばとして使われるのが普通であろう。
 それで解釈すると、いわゆるA級戦犯にされたこともある元首相を母方の祖父にもつこの総裁候補のケースは、どうやら後者のほうであるらしいことは、心情的には理解できる。
 事実がどうであれ、誰も自分のじいさんは悪いことにかかわったなどとは思いたくもないし、それをカバーしたい。それが肉親の情であり、その個人のあらゆるアイデンティティの源泉は、変えようもない。
 歴史とは、現在の人間が過去をどう認識しているか、ということそのものであって、その判断を全部歴史家が下すわけではない。歴史家の役目は、その事実と人間にそういう行動をとらせるに至った背景にある思想や心理や考え方を解明することだろう。
 むしろ、すべての歴史的事実は、現在を生きるわれわれ自身の頭で考えて、はじめて意味をもつ。それがなければ、われわれは過去を知ることも理解することもできない。決して歴史家の評価にまつとかいって判断や認識を先送りできる問題ではない。
 大昔に読んだので、そのほとんどは忘れてしまっているが、E.H.カーの『歴史とはなにか』によれば、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話」であるというのは有名な文句で、いろいろ引用される。
 ここでは歴史家のことを前面に出してはいるが、これはもともと歴史家だけの仕事ではなく、すべからく歴史を考える人すべてが、“現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話”を、常に繰り返していかなければならないものなのだ、といっているのだと解釈できる。
 歴史はまた、歴史年表に載ることがない多くのことども無数にある。それらを削ぎ落として削ぎ落として、歴史が編まれていくのは物理的にみてもやむを得ないことだ。だが、削ぎ落とされたものやそもそも歴史的な価値などない一般人の日常にも、大切なものがたくさんある。
 それを普通の場合、「歴史」とは認識していない、認識できないところが問題の在処なのだ。それらとはまったく別の歴史が、教科書や年表で扱うようなことだけが、唯一の歴史なのだと、思い込まされている。ごく普通の平凡な人間の生涯には、語るべきものもなく、記録すべき価値もないものと、最初から区別している。それこそが、大きな間違いなのだ。
 これも司馬遼太郎が書いていることだが、古代の中国では“ひいじいさんのことを知らないヤツは野蛮人だ”という認識があったという。まあ、それはものの喩えというものだろうが、要するに過去をちゃんと記憶しておいたり、それらをきちんと記録に残すことができるか否かが、文明人の証だという。
 でんでんむしが『個人史』を提唱しているのは、なにもそれを読んだからではないのだが、ウンこれは使えると思ったので使わせてもらっている。
 そもそも「自分史」ということばが、無定義に広まってしまったために、それとも違うのだということを説明するだけでも骨が折れる。自分史ともいわゆる“ルーツ探し”だけとも違う、『自分の生きた証』というものが、いったいどういうものなのか、いささかわかりにくいところもあるのは認めざるを得ない。だからわざわざ本にして書いたのだが…。
 それにも、個人個人で考えてみれば、いろいろなスタイルや方法があるので、それをいろいろ縛る必要はないと思っている。ブログという形式それ自体は最終的な記録媒体にはならない、という認識さえあれば、最初はブログに書き溜めたものから始めてもそれで充分なのだ。
 歴史家の評価にも委ねられないし、歴史の舞台で活躍した先祖をもたないわれわれにおいておや、「現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話」を、もっともっと続ける努力をして、それを記録していかなければならないのではないか。自分のためにも、後世のためにも…。b0095231_7151919.jpg
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 それにしても「自分史」とは、いい名前をつけたものである。そう聞いただけで、なにやら身の内なるものが、ふつふつとしてくるような、少々オーバーにいえばそういう気分もある。それこそが、多くの人を引きつけ、周辺を幅広く吸引する、驚くべき作用をもたらしたのではないか、と憶測する。
 そして、「自分史」という優れたネーミングの故に、いろいろな思惑や解釈が、このことばにぶら下がって便乗してきた。本来の客よりも便乗客のほうが圧倒的に多くなってしまって、それらが勝手に自己流の解釈を広めてきた。それはそれでまた、「自分史」と名乗ることに非常にぴったりとくるものがあったからであって、あながちそれを筋違いだと責めるわけにもいくまいが、それこそが今日の「自分史」とその周辺をめぐるどうしようもない混沌を招いたといえる。
 揣摩憶測は、ほとんどでんでんむしの趣味のようなものであるから、もう当時の事情をくわしく知り、傍証できる関係者もいないであろう昔のことを、あれこれ想像してみる。
 「自分史」というものの元祖は、ある地方である人が始めた普段の生活を記録する会の活動からだ、といわれている。それに遭遇したある若き歴史家色川大吉氏は、おおいにこれに触発され、自らも深く係わることで教祖といわれるようになったそれに「自分史」という名前をつけた、といわれている。
 しかし、そこでまず第一の憶測である。はたして、“普段着の生活を記録する”ということと、“歴史家の考える自分史”は、ほんとうにぴったりとかみ合う、「=」でつながるようなものだったといえるのだろうか。ここに最初の食い違いはなかったのだろうか。
 色川氏は、それ以降『ある昭和史―自分史の試み』をはじめ、自分史に係わる著作を数多く残すことになるが、『"元祖"が語る自分史のすべて』という本では、ついに自らが“元祖”になっている。これは出版社が勝手につけたものか、本人の意思によるものかは不明だが、そのなかで“21世紀という新しい時代には「自分史」は、確実に大きな座を占めるでしょうし、文章表現の分野でも多数の素人が少数の玄人を圧倒する”ことになるだろうと述べている。彼がそう書いたときに、インターネットやブログを想定できたとは思えないが、歴史家らしいこの考察は、もののみごとに的中している。
 ここで第二の疑問と憶測。それならば、なぜ文章の高度な熟練と完成を求め、活字にして残さなければならない、多数の人に読まれなければならないと、自分史のハードルを高く上げてしまったのだろうか。
 ここでまた、そもそもの“普段着の記録”とは、大きく隔絶することになってしまったのではないのか。
 ここには、純文学志向と表現の技術は活字媒体によるしかないという、“文筆の世界に身をおく元祖の思い込み”が、強く意識されすぎたためではないのか。あるいは、周囲の活動の流れが自然にそういう方向に向いていったのだろうか。
 そして、第三にはその結果として、本来の歴史とは異なる、“自分の歴史の一コマを題材にした文学”のほうに傾斜していったのではないだろうか。
 でんでんむしにいわせると、そこには若干の無理があり、結局“歴史でもなく文学でもない”中途半端な書き物を産むだけになってしまったのではないか、と見方はどうしても厳しくなってしまう。
 「自分史」ということばがこれだけ浸透し、多くの人々に使われている割りには、なぜか完全な市民権を得たとはいえないように思える。
 どうしてそう思うかといえば、「自分史」ということばくらい、収まりがよいにもかかわらず、世間の評価が伴わないのはめずらしいからである。ここには、でんでんむし自身の印象も多く含まれているので、必ずしも世間一般そのものではないが、およそ自分史を出して世間から評価され尊敬されるということは、まずないのではないか。
 もちろん、肉親親戚友人知人の類いで「すごいね」「よくやったね」「よかったね」「おもしろかったね」と、お世辞をいわない人はないだろうし、世間から評価されたいというのが自分史の目的ではないといえば、それもそうなのだろう。であれば、“自分史文学大賞”などといったことは意味がない。
 「自分史」ということばには、常に色眼鏡で見られる独特の雰囲気がついて回る。それは、いまだに発表の形態と方法に、さまざまな解釈が入り乱れて、“作品”としての質が玉石混交(もちろん石のほうが圧倒的に多い)であるうえに、見る人の目もまた定まっていないからだろう。
 そして、自分史を書きたいといって書く人に、まだまだ自己中心的な臭いが充満していて、それこそが世間の良識ある人の眉をひそめさせ、白い目で見られる原因となっているのではないのか。自己顕示欲…それをエネルギーとして書き残される自分史は、どう評価のしようもない。
 「自分史? 出したの? あっそう」としかいいようがない自分史が、あまりにも多い。
 「自分史」の評価が低いということは、せっかくこれだけのことをやりながら、色川氏の学者としての業績のなかにさえも、それがほとんどふれられていないことにも象徴されている。
 でんでんむしが、“自分史”ということばを本来の定義に返してあげたいと思うのは、このような混乱が続く限り、自分史にとってよいことはないからである。そう改めて考えてみれば、「自分史」というのは随分とまた、人々の個人的な思いをいとも簡単に幅広く飲み込んでしまう魔力をもった名前でもある。しかし、名が体を表すというならば、必ずしも適切であったかどうか、という疑問もある。
 「史」ということばがついている限り、“歴史なのか文学なのか”といわれれば間違いなく歴史であり、文学ではないではないかという屁理屈がすぐに成り立ってしまうからである。
 それはそれとして、自分が自分であることを確認し、自分とはなにかを問い直す作業こそは、何人にも求められている。
 こう書いてみていると、「自分」というのもなにか不思議なことばのように思えてきてしかたがない。昔見た日本の軍隊がでてくる映画でも盛んに「自分であります」などと多用されていたが、軍隊用語というわけではないだろう。今も若い人が「自分は…なのでぇ」というのを聞いていると、なにやら妙に落ち着かない。b0095231_8482814.jpg
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 ネット検索で「自分史」を引くと、これがなんと驚くほどの件数をカウントする。いやーすごいなー、この言葉がこんなに見事に浸透していたのかと、改めてびっくりする。ところが「個人史」で検索しても、でんでんむしの本や書き込みはでてくるけれども、ほかに目立つものがない。
 実は、これこそが「個人史」にこだわっている理由でもあるのだが、一党一派を旗揚げしようなどという大それた野望などはないにしても、とにかく言葉の定義と意味合いが、やたらいいかげんに使われていくことによって、本来のものが失われたり、変質していくことをいさぎよしとしない。また、それの渦中に己も巻き込まれてしまって、結果的に言葉の濫用促進に加担したくないのだ、という基本的な問題があった。
 だから、人口に膾炙しているとは、とてもいえない「個人史」という言葉をあえて選んで使っている。
 「個人史」は「自分史」とどう違うのかについては、本に書いたのでできるだけ繰り返さないようにしたいが、そもそもはまったく違う次元のものだというのが、でんでんむしの考え方である。そのように峻別したいのは、この「自分史」という言葉を最初につくった人たちや、その後その活動を進めてきた多くの人々にたいする、いちおうの敬意を示すが故でもある。
 先日も、九州のある市が主催(?)している“○○自分史文学賞”なるものの募集案内が送られてきていた。これも近年の傾向で、町おこしのイベントなどとして、流行っている。“日本一短い手紙”だのなんだのという、あの手の公募である。こういったこと自体に、文句をつけるつもりもない。それはそれで、まったくかまわないだろうし、「自分史」を書きたいという人々の励みになり、発表の場になればそれも結構なことだ。
 これをみたときに思ったのは、「なるほど。“文学”をつけたか」ということである。こちらもいつからそうなのか経緯をよく知っているわけではないから、あくまでも憶測に過ぎないが、ここにも主催者の苦労がしのばれる。つまり、あまりにも「自分史」が安易に拡大化解釈されて、ネコもシャモジも「自分史」「自分史」と言い始めたため、その本来の言葉の定義が見失われかけているのではないか。
 そうなのだ。「自分史」というものが本来目指してきたところは“文学”のひとつなのであり、“作品”なのである。
 そのことに理解を示すことをしないで、自分流の解釈で「自分史」を振り回す人がやたら増えてしまった。その結果、ネット検索のヒット数に象徴されるような事態になっているのだ、と思われる。
 もっとも、よくいわれるように“言葉は生き物だから、時代とともに変化していくのが当然なのだ”という、国語の専門家がおっしゃるようなことはあるだろうし、それを否定もできない。そんな例は、たくさんある。
 こないだも、NHKのことばおじさんが「みとく・しっとく・なっとく」で言っていたのを聞いて、なるほどそうなのか、と思ったことがある。“全然OK”というのは、実はオッケーだというのである。われわれの常識として「“全然”は否定に使う」という理解があったと思っていたら、これがなんと戦後のことらしいというのだ。漱石や鴎外の使用例も持ち出していたが、言われてみれば「全然」は文字通り「まったくしかり」なのである。
 だからといって、“情けは人のためならず”が、「情けをかけると人のためにならない」という解釈もあると認めるでたらめな国語辞典を認める気にはどうしてもならない。こういう間違いを流布する人が多数あるからといって、本来を覆すのは、どう考えてもおかしいのである。こういう場合は、ものを知らない人間が増えたということを憂い対策すべきで、“間違いは間違いなのだ”とビシッと決めつけてこれを排斥し、正しい日本語を教えなければならないだろう。
 …と、まあ、こういう展開の後に、「自分史」の意味を履き違えていると強弁するにしては、それがそれほどのごたいそうな問題か?という気もしてきた。
 そんなん、どっちゃでもええやんかぁ。
 ええねん、ええねん、どっちゃでも…。
 そういう気分にもなってしまう。…が、それはやっぱりまずいだろう。「自分史」という言葉は、その抜群のネーミングは、発案者の意図に従って「本来の自分史」に返してあげたい。そんな気がしてならない。
 というのも、でんでんむし自身は「自分史」本来の意義も大いにあると認めているからである。
 人間が、誰でも個々に体験するさまざまな出来事は、その本人しか知りえないものである。そのなかには、小説よりもドラマティックな物語がおうおうにして秘められている。それを元に、ひとつの文学的な作品として、残そうではないかというのもいいことである。
 純文学にはなんとなく距離をおいてきた人間としては、これ以上云々することは憚られるが、およそ世の作家といわれる人たちが、どんなに語り尽くしても語りきれないもののほうが多いであろう。それを多くの人々が参加する「自分史という作品群」が埋めていくという余地も、限りなく広い。
 だが、それが“文学”であり“作品”である以上は、それはそれでまた一定の条件を満たす必要がある。どうも、そもそもの定義では活字にして発表することも要件であるらしい。
 そうなると、体験は誰にもできるが、それを作品に仕上げることは、そう誰にも気軽に簡単にできることではない。
 そこで、「文章の書き方」が問題になったり、「自分史講座」などに何年も通ったりして、同好の仲間とグループをつくり、お互いに意見交換し合いながら切磋琢磨して完成を目指す、という過程も必要になるのだろう。それも、当然といえば当然である。
 また、活字にして発表するというのも、これがなかなかに狭き門なのである。世の中にはなぜか根拠なく自信満々の人も多いから、オレの作品はベストセラー間違いなしじゃ、と出版社に持ち込んだりする人も多いが、商売になるかならないかで考える商業出版は、それほど甘くはない。
 その隙間をうまくついたのが、「本にする原稿を探しています」という商売なのだ。これについてはまた、項を新たにしなければなるまいが、いずれにしても活字にするのはむずかしいうえに、なにしろお金がかかる。
 こうしたハードルの高さも、「自分史」の特徴なのであり、「自分史を自分史たらしめている」要素でもあるのだ。
 ところが、でんでんむしの勧める「個人史」は、これとまったく違っている。文学でもないし作品というようなシロモノでは決してない。活字になどしなくていい。もちろんお金などなくても、“全然オッケー”なのである。
 ほんとうに、誰にでもできる程度のことなのだ。これが、なによりすばらしいことではないか。b0095231_924232.jpg
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 記録の重要性は、誰もが知っていることで、いまさらのようにいうことではない。さまざまなメディアが発達し、限りない情報があふれている時代だが、これが「個人レベルの記録」として考えてみると、いかにも少ない。第一、一般にそういう習慣が定着していないし、記録の形も定型的なフォーマットがあるわけではない。
 そういう新しい習慣をつくろうよ、というのがでんでんむしの提言のキモであり、その記録を「一人一冊」の本にして残そうよ、というのがそのホネである。肝心なことは、すでに多くは昨年出版した本に書いているので、ここではなるべくそれと重複しないように、できるだけそれを補完すべく心がけようとしている。
 アンタがいうことなんざあお見通しだー、どうせたかが知れてらあ、そんなことは当然やってまっせー、もしそんな方がおいでになれば、これ以上こんなとこにまできて無駄な時間を費やしていただく必要はない、といちおう断っておこう。
 今でもたまに、歴史的資料価値の高い古文書が発見されて、ニュースになったりするが、自分の家で一番古い書き物として残されているものは、果たして何だろうか?
 それらを探し出して、整理し直してみることから考えてみるのも、自分の家の記録というものを再確認し、そこからまた記録をつなげて再スタートさせる点でも大切だろう。
 日本人が同じ体験をしてきたわけではもちろんないが、戦争とその後の核家族化と住所地の流動化などは、ある意味でそれまでになかった大変革を、個人の生活にも及ぼしてきているといえる。その結果のひとつが、家に伝わる歴史の断絶であった。
 戦争で肉親が帰らぬ人となった、空襲で家が焼けた、親とは遠く離れて暮らしている、故郷を捨てて都会に出てきた、引っ越しを何度もしている…そんなこんなで古いものはほとんど残っていない。
 若者は、過ぎ去った古い昔のことなんぞには興味もなく、そんな昔のことに関心を払うことをバカにする傾向さえもある。そんな傾向は、若者だけでなく一部の大人の間にもあるが、変な心得違いを諭し教える年寄りもいない。また、教えたくてもなんの材料もない、というのが大方のところであろう。
 さて、あなたの家の一番古い書き物。ありましたか?
 それは、何ですか? 手紙ですか、日記ですか、手帳ですか、家計簿ですか、通信簿ですか、請求書ですか、領収書ですか、作文ですか、遺言状ですか、香典帳ですか…。(きりがないのでやめます)
 それは、いつ、誰が残したものですか? 親ですか、祖父母ですか、ひいじいさんですか、ひいひいじいさんですか…。(これもきりがないですね)
 そんなものが、なにかひとつでもあったら、その一枚の書き物がタイムマシンになって、その時代、その人が生きた時代へとトリップできてしまう。テレビのチカラにでてくるダウジングする人のように、透視や念視や予言はできなくても、これが書かれたときの情景が、なにかなんとなくこころに浮かんできてしまう。
 でんでんむしの場合は、原爆で広島の生家を焼かれているので、古文書の類いはほとんど残っていないのだが、仏壇とともに避難していた香典帳に混じっていた一枚の書きつけがある。
 それは、朝鮮の京城の病院で、祖母が幼い父をかたわらにして、いまわのきわに付添の人に頼んで書いてもらったらしい遺言状であった。遺言状といえば、骨肉相食む財産争いの必須アイテムだと思っている人が多いが、財産がなくても遺言状はあるのだ。
 別に重要なことが書いてあるわけでもない。書いた人も代筆で祖母本人の書いたものではないが、病床で祖母がどんなことを考えていたか、十項目程度の箇条書きにまとめられた内容で、それがよくわかる。その便箋には半島の店の名前が書いてあって、広島を遠く離れた植民地の寂れた病室の感じまで忍ばれる。
 祖父は若い頃、祖母を伴って朝鮮に渡り、そこで仕事をして職人としての腕も磨き、一家の基礎もつくろうとしたのだろう。そうして得た収入の多くは、広島の両親の元に送っていた気配がある。けれども、妻は幼子を残して異土の病に倒れてしまう。枕元にわが子を呼び寄せ『修や、人のいうことをよく聞いて、よい子でいるのですよ』といったことまで記録されている。ああ、どんなにかつらい母だったのだろう。わが肉親ながら、誰からも聞かされたことのない史実の一コマは、この一枚の残された便箋から、活写されてくる。
 いまそれは、自分自身にとってなんの思い出とてない、まったく見知らぬ祖母と父とを結ぶか細くも貴重な絆となっている。(この写真後で入れときますね…と書いていたのですが、それを入れるとこのブログが「でんでんむしの個人史」のようになってしまい、そうなると趣旨が異なってくるので、とりあえず入れないことに…)
 こうしたものが、偶然残るだけでなく、意図して記録を残す、確かな歴史を刻んでいく、ということが大切だというのが、でんでんむしの言いたいことだ。そんなんウチの蔵には古文書なんかいっぱいあるで、という人も、それから後のことをまた新たな記録で補って、きちんと続けていかなければ、先祖は立派だったけどどうも子孫がダメで、ということになってしまうのだ。
 でんでんむしのように、戦争で断絶してしまった家の人間には、そういう家、自分にないアイデンティティを持つ人はうらやましい。だから、せめて自分の代からでも切れた歴史を拾い直し、つなぎ直して次の世代に伝えていきたいと願っている。ウチには代々の記録が明治まで残っていると自慢できる人でも、そういうあなたが今を記録する努力を怠って、ダメ子孫にならないようにしないといけない。
 こうしてみると、今を記録する作業は、やはり誰にも等しく求められているのだといえる。それは、公の記録とは別に、まったく個人的レベルで考えて実行しなければならない。
 しなければならないといっても、強制できるものでもするものでもないし、したからといって税金が安くなるわけでもない。だが、今どきの中高年をその気にさせるのには、最もウケるらしいキャッチフレーズもあるのだ。
 この作業には、副作用として『脳を鍛え活性化する』という御利益もあるのだぞ。どーだ、こういえば、やらざるを得まい。ゲームなんかで「脳年齢55歳」などといわれて喜んでいる場合ではないのだ…。
 古い記憶をたどって整理し、関連のことや当時の世界情勢を学び、自分が生きた時代はどんな時代だったかを、自分なりに紡ぎ合わせてみるのだ。歴史関連の本や資料がいっぱいあるから、わざわざそんなことしなくても…というのは大間違い。図書館に行って、そういう本をいくら読んでも、それは一庶民の生きた記録ではなく、単なるバックグラウンドに過ぎない。
 その前で、あなたやわたしはどう生きてきたのだろうか。b0095231_614988.jpg
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